江戸末期〜明治初期
越前箪笥が製作されるようになったのは、
江戸末期から明治初期にかけて旦那衆の家に出入りしていた
『指物師』が始りといわれている。
能面などの工芸的な仕事をしていた者や、農業者のうち
手先の器用な者が お膳風呂(水屋)や板戸などを製作しており、
これらが専業化して『指物師※』となった。
※『指物師』の名の由来については諸説あるが、
ホゾや継ぎ手によって材を組むことを「指す」といい、
また「物指し」を用いて細工するからともいわれる。
なので、指物の技術者を指物師と呼ぶ。
越前市(旧武生市)は古来より越の国の国府がおかれ、
北陸地方の政治経済文化の中心地として栄えてきており、
また仏壇の産地でもありその上、 『刃物の町』でもあって、
金具鍛冶には恵まれていた。
※刃物の町=伝統的工芸品『越前打刃物』のルーツにも関係しているかも
しれませんね。
また、『嘉永4年 府中全町家順記』によれば、 当時の旧市街地に
塗師屋12軒が存在し、さらに近隣の河田地区(お隣の鯖江市)は
漆器の産地であった。
※『河田の漆器』=こちらも伝統的工芸品『越前漆器』にも
由来しているかもしれませんね
※『塗師』(ぬし)とは、江戸時代以前から用いられた
漆芸家の古称である。さらにウィキペディア参(^^;
以上のことが要因となり、明治中期頃には本格的な箪笥造りの職人が
中心になって『タンス町通り』が成立した。
この今もなお続くタンス町通りの存在こそが、伝統技術が受け継がれている
証でもあり、歴史の証明であると考えております。
この様に歴史一つをとってみても、ほかの工芸品(産地)
との関わりが深く、分業生産なども盛んに
行なわれていた可能性があると思います。
※これらの諸説は管理人の仮説も含まれており、
すべてが実証されているわけではございません。
※重要※
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